はじめに
こんにちはscene(シーン)です✋
去年の夏に突然思いたって、大阪湾の海岸沿いをひたすら和歌山県東牟婁郡那智勝浦町まで行くバイクツーリングに出かけました。
前回は『那智山青岸渡寺』、今回はその続きで、『那智の滝』のエピソードです。
青岸渡寺の三重塔から那智の滝を眺めて清々しい気持ちで駐車場まで引き返してきました。
駐車場の管理員さんに、
「おおきに!」
と声をかけてバイクにまたがり、次はいよいよこの旅の最大の目的『那智の滝』へと気合を入れて出発します。
ワクワク感に満ちている僕は急な下り坂を軽快に駆け降ります。
そして5分もしないうちに那智の滝の入口に近い土産物屋さんの駐車場に到着します。
バイクをとめてエンジンを切り、駐車場の係員のおとうさんに料金を支払います。
領収書とお土産の割引券をもらって、いざ那智の滝へと歩を進めた瞬間に先程からパラついていた雨が、それこそいきなり滝のように降ってきました。
まだ滝にも到着していないのに、
「滝の水行でもあるまいし。」
と思いながら、
係員のおとうさんに、
「日頃の行いが悪いので、ここから修行のつもりで参拝しろ言うお告げですかね?」
と携帯の折り畳み傘をさしながら冗談を言うと、
「やっぱり降ってきたなぁ。」
「すぐ小降りになるから、ここで休んで行き。」
と苦笑して手招きされる。
お言葉に甘えてしばらく世間話をしながら雨宿りをする。
こんなひとときも旅の醍醐味だと思いながら土産物屋の軒下でたたずむ。
しばらくするとおとうさんの言ったとおりに雨は小降りになり、そのタイミングを見計らって、
「もう大丈夫でしょう。そろそろ行ってきますわ。」
「おう、そうか。行ってらっしゃい。」
おとうさんに見送られながら、先程の折り畳み傘を再びさして、滝の入口へと向かいました。
那智の滝
上記の写真の正面に見える那智の滝の入口に1番近い自動車の駐車場はこの場所になります。
熊野那智大社や那智山青岸渡寺のある高台からは道中に急な階段や登り坂があり、そこそこ距離もあるので、徒歩で参拝するのが困難な方はこちらの駐車場を利用してください。
バイクの駐車場は上記の地図の場所で美山亭という土産物屋さんの前に有料でとめることができます。
先程の自動車の駐車場も美山亭に隣接しています。
こちらが滝の入口です。
滝なのに何故か鳥居が?
そして向かって左手には飛瀧神社(ひろうじんじゃ)と書いてある看板が…。
ここ那智の滝は滝そのものが御神体なのです。
だから鳥居をくぐるとそこは神様の聖域です。
その鳥居をくぐると雰囲気ある森の中の階段を降って行きます。
そんなに急ではなく、よく整備されていて歩き安い階段です。
こちらは少し急になりますが、手すりもあって安全です。
この日は雨天で地面が濡れていたので、石積みの階段が滑らないかと少し慎重に昇降しましたが、案外大丈夫でした。
この下りの階段を降りれば、そこは世界遺産『飛瀧神社・那智の大滝』の世界です。
これが世界遺産『那智の大滝』です。
落差は133mで、一段の滝としては日本一です。
この日は雨上がりで水量も多く、間近で見ると水しぶきと音の迫力が際立っていました。
滝壺の下流の風景です。
こんな感じの原始林に囲まれて、那智川から那智湾へと御神水は流れて行きます。
この鳥居から御神体の滝そのものを拝みます。
滝のしぶきを浴びる事によって、延命長寿の御利益があるとかないとかいう伝説があるらしいです。
先程降りてきた階段を下から眺めた写真です。
周りは改装工事中でこんな感じの写真しか撮れませんでしたが、何とか今回の和歌山ツーリングの最大の目的は達成できました。
大阪からは頻繁に足を運べる距離ではありませんが、リニューアルした那智の滝、必ずまた訪れたいと思います。
まとめ
しかし入口から10分ほどの所でこんな素晴らしい光景を見れるなんて、日本の観光地が外国の方に人気があるのも納得です。
返す返すも来て良かった。
この後土産物屋まで戻り、駐車場のおとうさんと参拝後の世間話をした後、那智黒飴とかりんとうを割引券を使って買い、次の目的地の熊野本宮大社へと向かいました。
ここで滝の話からはそれますが、もう少しお付き合いください。
最近ブログやSNSで旅の記録や観光地の紹介をすると、よく御高齢の方や足腰の不自由な方から、
「もう少し若くて元気だったら行けるけど。」
「介助する者が大変やろなぁ。」
「足が不自由なので私には無理でしょうね。」
「こんな身体じゃなかったら、行ってみたいなぁ。」
などと切なくなるようなお言葉をコメントで頂きます。
僕は皆に慕われるような善人でもなければ、ボランティア精神の旺盛な人間でもありません。
でも、そんな僕でもこのような悲痛の叫びを聞くと、何かできる事はないかと考えてしまいます。
だからといって、何の力も資金力も無い僕にできる事は限られています。
なるべく目的地に近い駐車場を紹介したり、ストレス無く観光出来るように観光客の少ない時間帯や時期を調べて情報提供したり、ホームページで身体の不自由な方用の観覧ルートの有無を調べたりぐらいしか出来ません。
コメントを頂く事はブログ記事を書く者にとっては大変光栄で、ブログをやってて良かったといつも思います。
だけど、やるせない。
そんな気持ちになります。
昔と違って高齢者や足腰の不自由な方への配慮をして、観覧場所まで車で行けるルートを設けたりしている観光地も多々あります。
しかし、山間部や僻地にある神社や仏閣に関してはまだまだ行き届いていないのが現状です。
特に神様や仏様に参拝するには多少の困難な道のりを経て、やっと参拝できるような事がならわしのようになっているので、安易に参拝できる事に閉塞的なのでしょう。
他の理由としては、小規模な観光地は資金の問題もあるでしょう。
元気な者にとっての100mや200mを歩く事や階段などは何の問題もありません。
だから高齢者や足腰の不自由な方にとっては困難な道のりだということに、頭ではわかっていても理解はできていません。
僕もこんなコメントを頂くまでは気にもとめていませんでした。
何かできる事はないか?
無い知恵しぼって色々考えました。
神社や仏閣に限って言えば、まずは伝統を守りつつも、これから急速に進んでいく高齢化に対しての意識改革が必要です。
高齢者や足腰の不自由な方への配慮として、伝統や慣例よりも施設の多様化や合理化を進めていく事。
そしてそれは潤沢な資金が必要なので国家規模で推し進める事。
これは支出だけの社会保障費と違って、見返りのある投資です。
神社や仏閣はただでさえ年配の方に人気があり、今まで参拝を躊躇していた方々を呼び込めば、その分需要も伺えます。
御高齢や足腰が不自由だと言う理由で参拝をあきらめておられる方々がどれだけいらっしゃるか、それにその人数はこれから益々増えるはずです。
立札看板を外国語にして、外国人向けのにわか土産を量産して外貨を呼び込むのも大事かも知れませんが、その資金を多少なりとも内需に向けてはどうでしょうか。
そもそも私達の日本がなぜにこれほどまで外国人に人気があるのか?
知り合いの外国人に聞いた話ですと、
▪️街がきれい
▪️サービスが行き届いている
▪️誰にでも親切
▪️細かい所や設備に配慮がある
ほとんどが手厚いサービスに関しての意見でした。
観光地の福祉設備を充実させる事は細かいサービスの向上につながりますよね?
今現在、日本にたくさん来られている中国の方もこれから急速に高齢化が進んでいきますし、その他の先進国も同じくです。
これで外国人観光客の需要の減少も多少は抑える事ができるのではないでしょうか。
目先の利益も大切ですが、これから先の時代を生きる人達のために少し立ち止まって 、国家の礎を見つめ直す事も必要なのではないでしょうか。
結局は一庶民が何を言ったところで、国家規模の事業として活動しないとどうにもなりませんけど。(泣)
最近頂く貴重なコメントと「桜、桜」とうるさい国会中継を見ていて、あまりにもかけ離れている政治家と国民の思いに憤りを感じてグチを漏らしてしまいました。
楽しいはずの旅の話が世情批判になってしまい申し訳ありません。
最近頂くコメントがあまりにも悲しくて、やるせないものだったので。
そしてその人達のほとんどはやり場のない辛い思いを押し殺して、最後に気を使ってらっしゃるのか、その事象を冗談話のようにして、「仕方ないですよね(笑)」というコメントで締めくくっておられました。
その気持ちに少しでも答えたい。
何かしら協力できたらと、僕は僕にできる事、それをやるだけです。
この度もご覧頂きありがとうございました。
次回は和歌山県の観光スポット『熊野本宮大社』をお送りします。
それではまた✋
小説「慈愛のこころ」
少年編27
人は文明が進化し豊かになるにつれて個人主義が蔓延し、本来のあるべき姿や感情を失いつつある。
広くは助けあいや博愛、身近には恋愛や友愛や家族愛という大切なものを何処かえ置き去りにしてしまっているような気がする。
このままでいいのだろうか?
これも時代の流れで、止めることは不可能なのか?
何か先行きが不安で得体の知れない悲愴感をおぼえる。
しかし前田家はこんな時代の流れとは無縁で家族関係はすこぶる良好。
お互いの事をよく理解するために家族の事をいつも気にかけている。
というより、春子以外の2人は隠し事もできないほどに管理されている。
特に隆一などは春子の手のひらで踊る事もできず、いつも直立不動でビクビクしている。
もちろん幼い隆司の胸の内や行動はガラス張りの様にお見通しで、鋭い春子の洞察力に危機感をおぼえた隆司は、佐藤家の2階での出来事や自分の薫への気持ちを一部始終話してしまう。
それを聞いた春子は、まだ幼子だと思っていた愛息子が1人の女性に対して特別な感情を抱くようになったかと思うと、大人へと成長していく我が子に対して嬉しくもあり少し寂しいような複雑な心境にかられて、戸惑いを隠せない。
自分の事を信頼して全てを話してくれた我が子へ、親として何かアドバイスの言葉を伝えなくてはいけないのだけれど、珍しく頭が真っ白で何も浮かんでこない。
つづく
*この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。