はじめに
こんにちはscene(シーン)です✋
去年の夏に突然思いたって、大阪湾の海岸沿いをひたすら和歌山県東牟婁郡那智勝浦町まで行くバイクツーリングに出かけました。
前回は『熊野那智大社』、今回はその続きで、『那智山青岸渡寺』のエピソードです。
熊野那智大社の朱色の門をくぐり抜けると目の前にトップ画像のような寺院が現れます。
那智山青岸渡寺という寺院です。
那智山青岸渡寺
本堂
那智山青岸渡寺の本堂です。
他もそうですが、とても歴史を感じさせる古い建物で、趣きがあります。
天台宗の寺院で、本尊は如意輪観世音菩薩(にょいりんかんのんぼさつ)、西国三十三所第一番札所になります。
そしてここは熊野那智大社と那智山青岸渡寺、神社と寺院が隣接して建つ珍しい場所。
明治時代以降はこのような信仰法は世の中から遠ざけられてきましたが、本来多くの人が多神教な日本人にとって最も合理的な光景だと思うのは僕だけでしょうか?
僕自身はあまり信心深くなくて無宗教です。
だからといって神頼みをしないわけでも、誰かのお葬式の時に寺院のお世話にならないわけではありません。
今までもこれからも何らかのつながりを持ってお世話になる事でしょう。
それに趣味で神社や仏閣を巡ったりするのは大好きです。
信仰やしきたりといった難しい事は無宗教の僕にはあまりわかりません。
だけど、その神社や仏閣、それらが建立されている場所、そしてそこに祀られている神様や仏様がただ好きで、自身の心が落ち着く場所だからまた訪れたい。
そういった気持ちが1番大切な事ではないでしょうか。
僕は参拝したあと、いつもこのように思います。
まとめみたいになりましたけど、これからはじまりです。
山門への階段
この階段を降りて行くと山門があります。
僕はズルしてバイクで熊野那智大社の駐車場まで上がって来たので、階段の上から山門を望むカタチになっていますが、本来は山門をくぐってから参拝するのが常道でしょう。
世界文化遺産記念碑と境内の案内版
世界文化遺産になった記念碑と那智山青岸渡寺の概要が書かれています。
水子堂と宝篋印塔
正面の奥に見える六角形の建物が水子堂になります。
少し分かりにくいですが、その右手に見えるのが宝篋印塔(ほうきょういんとう)という供養塔だそうです。
あとで知りました。(汗)
鐘楼
この立派な屋根に覆われた歴史を感じさせる建物が鐘楼(しょうろう)です。
見晴らし台からの那智の滝
本堂の横の見晴らし台から宿坊尊勝院や三重塔越しに那智の滝が見えます。
周りの風景に溶け込んでいて、風流ですねぇ。
しばらく見入ってしまいました。
上記の那智の滝を拡大したものです。
返す返すも天気が良ければ…。(涙)
地蔵車
高台にある本堂から三重塔に向かって階段を降りた途中にある地蔵車です。
真ん中の柱の車輪を回すと六道(ろくどう)の苦難から救われ、成仏するそうです。
*六道=生きてた時の行いによって亡くなった後に行くあの世にある「天道」「人間道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」の6つの世界の事。
三重塔
地蔵車をさらに那智の滝方面へ行くと先程本堂の横の見晴らし台から先端だけ見えていた立派な三重塔が目の前に現れます。
拝観料を払って中に入り、二階・三階へと登る事ができ、そこからの那智の滝の眺望は絶景です。
こちらからの風景も左に三重塔、右に那智の滝と、中々に贅沢です。
結局、那智の滝のズーム写真を撮ってしまいました。
この後、那智の滝へ行くんですけどね。(笑)
まとめ
いやぁ〜!
前回の熊野那智大社の時も言いましたけど、やっぱり来て良かったですね。
天気、はっきり言って気にならないです。(ちょっと嘘です。)
でもそれぐらいに歴史ある建造物を見て歩いていると心が穏やかになってきます。
文頭でも言いましたけど、僕はあまり信心深くなくて無宗教者です。
そんな僕でも由緒ある神社や仏閣を拝見していると、いつの間にかその場所に溶け込んで、そこに祀られている神様や仏様がとても身近に感じてきます。
そして自分自身の心の中に直接お声をかけてくださって、雑念だらけの心を浄化して下さるような、とても良い心地になります。
たぶん錯覚でしょうけど。(苦笑)
それでも心が良い気分になるという事は悪い事ではないので、僕にとってこの場所はパワースポットであり、リラクゼーション施設であり、精神と体を同時に癒してくれる素晴らしい場所だという事です。
那智山、益々好きになりました。
必ずまた訪れます。
この度もご覧頂きありがとうございました。
次回は和歌山県の観光スポット『那智の滝』をお送りします。
それではまた✋
小説「慈愛のこころ」
少年編26
春子はそんな小さな手を強く握り返す。
「母ちゃん痛い。」
隆司は遠慮がちに言うが、
「何言ってんの!男の子が!」
と、笑いながらいつもの春子に戻って答える。
隆司も仕方なく苦笑いする。
自宅に着くと春子は突然思いだしたように、
「あんたぁ、薫ちゃんの引っ越し決まったらお見送り行かなあかんなぁ。」
「もう約束とかしたんじゃないの?」
とまるで薫とのやりとりを見ていたかのような調子で隆司に聞いてくる。
自らのお腹を痛めて産んだ子供の胸の内などお見通しなのか?
母親と子供は約10か月の間一心同体で、くる日もくる日も一緒に過ごして、その間に何か神秘的な繋がりでもできるのであろうか?
母親の我が子に対しての洞察力はまさに神がかっている。
昨今では親が我が子の考えている事が分からずコミュニケーションがとれなくなり、あげくに自分自身の精神が不安定になり、育児放棄や虐待などの問題が起きているが、ストレス社会の成れの果てなのか、古き良き時代の親子関係というものが薄れてきている。
またその逆も然りで、精神的に不安定な状態で成長した子供による家庭内暴力やいじめなどという問題もあるが、最近では前者の問題が特にクローズアップされている。
人間とはとても弱い生き物であるがゆえに、少しの精神的苦痛やボタンの掛け違いで、一番身近な大切な存在を傷つけてしまう。
本来は何があっても最後まで自分の味方であり、どんな窮地に追い込まれても親身になって一緒に打開策を考えてくれるのが親や家族であり、自分自身もそうするのが血の繋がりというものではないだろうか。
つづく
*この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。